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さて、先日報道のあった花柳流花柳会に関する裁判の件ですが、ご承知のとおり、2007年に三世宗家家元が逝去されたのが事の発端です。

三世宗家家元が逝去された際に、三世はまだ後継者を誰にするのか公表されておらず、遺言書もありませんでした。
現在の四世宗家家元は、三世の死去の後に理事会での推薦を受けて宗家家元に就任されたようです。

花柳流の宗家家元をだれが承継するのかという問題は、個人の相続であったり、私的な家や祭祀の承継とは違い、やはり、「花柳流花柳会」という組織・団体の承継問題と考えるのが普通でしょう。
そうすると、宗家家元の決定方法を団体の定款でしっかりと規定しておかないと、後々また問題が起きてくる可能性がありますね。

ところで、仮に三世が亡くなった際に遺言書が存在しており、宗家家元の後継を誰にするのか書いてあったとしたら、どうなったのでしょうか。
ちなみに、遺言書は法に従った方式を守っていればいかなる内容のものでかまいません。
しかし、法定意味を有するものは限定的に定められていますので、それ以外については何を書いても法律上の意味はありません。

例えば、株式会社であれば、その代表取締役Aが遺言書で「後継はBにする。」と書いていたとしても、それは法的に何の拘束力もありません。
次期代表取締役は、株主総会なり取締役会なり、その株式会社の定款で規定された方法に従って決定されることになります。

したがって、例えば三世宗家家元が「後継者はCにする」との遺言書を残していたとしても、その文言自体に法的な拘束力はないと判断されるでしょう。
しかし、故人の「後継はC」との意思は明確になるわけですから、これには大きな影響力が生じてくるでしょう。
ですから、遺言の法的拘束力は一定の範囲に限られてはいますが、法的な拘束力を持たなくとも「故人の意思を明確にする」という重要な機能をふくめて遺言書を活用していく必要がありますね。